いつ、どのようにがんが発覚して、その時どんな状態でどんな治療を選んだか、それがどのような効果をもたらしたか・・・
見やすいように表にしてみました。
同じ すい臓がん と言っても、人それぞれで抗がん剤の効き目もある人、ない人、バラバラなのでほんの参考までにご覧ください。
2015年2月 背中の痛みと膨満感感じる
2015年5月 食後の胃の痛みを覚える
2015年6月 町医者に掛かり、影をすい臓に発見、その後、大学病院でCTやMRIを撮る
2015年7月 すい臓がんと告知。何もしなければ余命半年。動脈に浸潤が見られるため手術不可。
7月末からジェムザール+アブラキサンの抗がん剤投与を開始
2015年8月 千葉で重粒子治療をできないかと訪ねてみるもがんが胃に近すぎると断念。
2015年11月 ナノナイフを見つけ治験に申し込む
2015年12月 手術3週間前抗がん剤を投与を最後に一度休止。転移などなく無事ナノナイフを受ける
2016年2月 抗がん剤投与再び開始。しかし2月中旬に激しい腹痛と発熱。ナノナイフの傷口に膿が溜まり、即入院。抗生剤の点滴をするために3週間入院。
2016年3月 抗がん剤再度始める。ナノナイフしてから定期的に抗がん剤を出来ていなかったために腫瘍マーカーの数値は上がる。
2016年4月 体力があるのでDP-carという摘出手術をしないかと主治医に持ち掛けられ北海道ですることに。
2016年4月27日 H大学病院でDP-car手術トライも腹膜に転移が見つかり断念。
2016年6月 北海道のT病院に移り全身にフォルフィリノックス、腹膜へはポートからパクリタキセルを入れる化学療法を開始。激しい副作用に襲われる
2016年7月下旬 腫瘍増大、腫瘍マーカーの数値も激増。腸閉塞になりかけ化学療法をストップする。
2016年8月 T病院の主治医から緩和治療を勧められる。
「強力なフォルフィリノックスが効かないならもう効く抗がん剤はありません」と
でも私と家族は「ジェムザールもまだ耐性が出来てないだろうし、TS-1などもあるはず・・・なんで?」と思いました。
2016年9月 主治医を信頼できず、腸閉塞の症状が治まってから退院。息子たちがいる神奈川周辺で治療を引き継いでくれるところを探す
埼玉のM病院を2度訪ねるも腹水が溜まっていないため腹膜の治療を断られる。(カテーテルでピンポイントですい臓へ抗がん剤を入れる動注療法はやってくれると言われました)
2016年10月 DP-carをやろうとしてくれたH病院の先生を頼ったところ北海道のS病院を紹介してくれ、神奈川から通いながらの治療を開始。1週間に1回投与でそれを2回やって1週間休みという、3週間で1クールです。
2017年2月 腸閉塞のため、神奈川のK病院に緊急搬送。どの病院でもがん患者の扱いは同じなのかもしれませんが、うちでは何もしてやれないので一刻も早く掛かりつけの北海道の病院に行った方が良いとの事。
5日間絶食のまま陸路で北海道のS病院へ。
2月23日腸閉塞の外科的処置(バイパス手術、閉塞の部分を飛び越えて腸と腸をつなぐ)をして、そのついでにお腹の中のチェックもくまなくしてもらう。
2017年3月 腹水がない状態でパクリタキセルをしていたので腹膜内の癒着がひどいとの事。経過をみて治療していくそうです。
流動食からご飯を開始。
2017年3月15日 抗がん剤投与再開。様子見で今までの80%の量のアブジェムと腹膜にパクリタキセルを投与。朝晩はTS-1を服用する。
2017年3月22日 80%の量のアブジェム投与。腹膜のパクリタキセルは中止。TS-1は服用する。
2017年7月 階段から落ち股関節骨折
高山の病院で人工股関節を入れる処置
さらにバイパス手術をした傷口が膨れて破裂。バイパス手術の傷口がうまくふさがらず、勝手に人工肛門のようなものが出来る。
2017年8月 高山の病院で人工股関節のためのリハビリ
7月からTS-1は中止
2017年9月 北海道の病院へ 9月中旬から10月初旬までUFTを試す
2017年10月初旬、北海道の病院へ。おう吐などもありUFTを中止。体重が激減してしまったために積極的治療を一時停止。
2017年10月中旬 高山の病院に転院。最初は通う予定でしたが脱水症状になり緊急入院。食べたものを全て吐く。
幽門が狭窄してしまっていて食べ物が腸へ行かないことが判明。点滴で栄養を取る。
2017年11月中旬 幽門にステントを留置するために東京の病院に転院。 ステントを留置してもらう。その後2回、追加でステントを入れてもらう
2017年12月11日退院 高山の病院に戻って経過観察・・の予定だったが・・・・調子が悪いため12日にもう一度ステントの病院へ掛かる
2018年1月15日 神経ブロック療法で疼痛を抑える手術をする
2018年1月20日 オプジーボを投与
2018年1月25日 早朝 旅立つ